諏訪峡の春景
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▲ 岩泉駅。上り列車が出発を待つ。キハ52形は長閑な風景と実によく合っていた。
ホームは将来の小本方面への延伸を見据え、1面2線に増設可能な構成。
2009年7月の土砂崩れによる脱線事故から運休が続いている岩泉線ですが、3月30日付のプレスリリースで運行再開を断念する旨、発表がありました。
あくまで、JRが復旧断念の方針を発表したというだけで、実際に廃止が決定されたわけではありません。この発表を受け、自治体から何らかの支援策が提示され、存続への道筋がつく可能性もあるでしょう。最近では名松線が自治体の支援により廃線を免れたという事例もあります。
最終的な存廃は、地元の意思と自治体の判断にかかっています。しかしながら、区間列車を含めても1日4往復の超閑散路線に、少なくとも130億円といわれる復旧費用はあまりに巨額です。

▲ 岩泉駅の時刻表。1日3往復といっても等間隔ではなく、朝夕運転と言うほうが正しい。
始発列車の宮古到着は9時14分なので、通勤通学は現実的でない。想定していないと言うべきか。
岩泉線のように、土砂災害で路線そのものが廃線に至りかねない、という現状を見るにつけ、ローカル線のおかれた現状の厳しさを感じずにはいられません。直接の原因として「表層付近の岩盤の緩みや風化」とありますが、何もこれは岩泉線に限ったことではなく、ごく普遍的にどこでも起きるといってよいでしょう。
ここから見えるのは、国鉄から継承したインフラに大きく手を加えることなく、だましだまし使ってきたというローカル線の実態です。ローカル線の多くは概ね昭和初期から中期にかけて建設されました。開通から数10年が経過し、設備や土木構造物の劣化が極まりつつある、と言えます(*1)。
もちろん、安全な運行のために必要な保守整備はしているはずです。とはいうものの、斜面補強のような大規模な工事は投資も莫大で、不採算のローカル線ではどうしても消極的になりがちです。中には、土砂災害の危険のある区間は時速25km(雨天時は時速15km)まで徐行、という事業者すら現れています。言い換えると「がけ崩れがないか、目視で確認しながら恐る恐る通過する」ということに他ならず、もはや極限的な状況です。

▲ この日、岩泉駅で帰りのきっぷを買った。簡易委託駅で、同駅発の常備券を手売りしていた。
岩泉線の年間運賃収入は800万円(2009年度)。ひとり分の人件費すら賄えるか疑問である。
一方で、鉄道会社全体としての経営は比較的安定しているがゆえに、個々の路線の実態が見えにくく、沿線と危機感を共有できないという課題も感じます。沿線の認識も「大企業が運営しているし、たぶんこの先も安泰だろう・・・・」という、半ば人任せな意識だったりします。ひどい場合は存在感すら失われているかもしれません。
そんな状況で、災害や経年劣化でインフラが崩壊し、費用対効果を理由に鉄路を放棄する判断が下されたとします。沿線にしてみれば、莫大な利益を出している会社なのに自分たちは切り捨てられたと、ひどく唐突で冷酷な判断に見えるかもしれません。これではお互いに不幸です。
本当に路線を残したいのなら、決定的な事態を迎える前に、地元自治体も含め継続的に支援する枠組みを考え、貴重なインフラの維持に繋げないと、と思うのです。

▲ 岩泉駅の待合室は広い。同駅の開業は1972年2月6日と、比較的歴史は浅い。
開業40周年を迎えたものの、この駅に再び列車は来るのだろうか。
2003年11月15日 岩泉線 岩泉駅
(*1) 『線路工手の唄が聞えた』(橋本克彦)によると、戦前は政府の財政状況の悪さと建設業界の下請構造によりギリギリの予算で建設せざるを得ず、敷設された線路は極めて脆弱なものであったと指摘している。このことから、土木構造物も同様に、あるいは斜面崩壊のリスクに十分な対策のないまま竣工に至った可能性も否定できないと思う。
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出張で大阪に行きました。
時間に余裕があったので、乗り換えの途中で大阪駅をぶらぶら。
電光掲示板の行先など、何気ないアイテムで旅心がそそられます。
「環状」なんて、いかにも大阪環状線ですよね。
【10番線】
10番線にはトワイライトエクスプレスが出発を待っていました。
車両のなかでくつろぐ旅の人たちもいれば、写真を撮る親子連れもいたり。
皆が思い思いに楽しむ中、スーツ姿の人もちらほらいたりします(含む自分)。
考えることは皆同じですね。
大阪駅の出発は、11時50分。
終着駅の札幌には、明朝9時52分に到着。約22時間の旅です。
食堂車。このまま乗って北に行きたい衝動に駆られます。
厨房ではコックさんが仕込みの真っ最中。
発車後すぐに昼食が始まりますから、忙しそうです。
青森までの機関車は、EF81 114号機。
いよいよ、出発です。
機関車のまわりには、発車を待つギャラリーがいっぱい。
定刻に発車。手を振って見送ります。
行ってらっしゃ〜い。
【3番線】
117系がいました。新製当時の塗色の編成です。
やはりオリジナルの塗色が良いですなぁ…
種別のサボ「団体」を差しています。
この枠が活用されているのを初めて見ました。
客室の窓に貼られた紙から、甲子園の応援列車としての団臨のようです。
おっと、トップナンバーの編成です。
この時期の国鉄車両は、優等列車でもないのにステンレスの切り文字が奢られていたりして、
おカネのかけ方の基準がよく分かりません。それもまた魅力のひとつではありますが。
様変わりした大阪駅の大屋根の下に佇む・・・・
時間にしてわずか30分弱でしたが、程良くリラックスできました。
本来の用件のため、いそいそと集合場所へと向かうのでした。
2012年03月28日 大阪駅
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ダイヤ改正に合わせ姿を消す列車や車両は様々ですが、久留里線ではタブレット閉塞が終了しました。駅員さんが到着列車のタブレットを受け取り、隣の交換駅との打ち合わせにより安全を確認し信号を開通、次の区間のタブレットを運転士に渡し、車掌に向け手旗を振り出発を指示する…という情景は、鉄道が人で支えていることをより強く感じさせるものでした。
タブレット閉塞が現役の路線は極めて少なく、JRでは只見線の一部区間を残すのみです。数多くの閑散路線を差し置いて、首都圏の久留里線が最終盤まで残ったのは不思議な感もあります。あくまで推測ですが、需要がそこそこ存在するため交換駅の廃止が難しく、設備投資による合理化の効果がいまひとつ期待できない、という微妙なバランスが、タブレット閉塞の生き長らえた要因のひとつではないかと思うのですが。
いずれにしろ、今年中の新型車輌への置き換えも既に発表されており、久留里線にとっては大変革の1年です。今後も目が離せません。
2012年03月14日 久留里線 923D
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きのうの夜「3月11日のマーラー」という番組を見ました。
震災の日の夜、105人の観客を前に演奏会が決行された、というお話です。
あらましはこちらに譲りますが、スタッフも観客も、あの日決行して良かったのか、
コンサートに出掛けてよかったのかと、その後も悩んだそうです。
趣味とは、自分自身と世の中が平穏無事な状態でようやく成り立つものです。
今日この日も、続けられていることの有り難さを思わずにはいられません。
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